~ 聖地の達人 ~

元キルガー,フレンチ&スタンバレー礼服部門長

竹下 英雄
2005年3月27日、僕の元にショッキングな電話が入って来ました。これまでお世話になっていたテイラーの竹下英雄さんが、3月24日に心臓発作にてご逝去されたとの事。まだ56歳の若さでした。ご遺体が発見された時には、部屋のテレビは点けっぱなしだったそうで、本当に突然の出来事でした。
竹下さんの訃報を聞いた僕は、とても悲しく、愕然とせずにいられませんでした。お会いするたびに、いつも親切に接して下さった竹下さん。もっと仕立てて欲しい服もあれば、もっと伺いたいお話もたくさんありました。そして、親切にして頂いたにも関わらず、そのご恩を返せなかった事が非常に悔やまれます……。

竹下さん、素晴らしい洋服を仕立てて下さり、どうもありがとうございました。

竹下さんへ、感謝の意を込めて。



竹下英雄さんは、高校生まではごくごく普通の学生さん。それまでは仕立てに携わった事はなかったそうだ。高校卒業後に2年間、テイラーの専門学校へ通い、その後、家業である竹下洋服店に入社する。その頃の竹下洋服店は、職人さんを30名ほど抱える、大所帯の株式会社。お店の初代である(創業は30年代)竹下さんのお父様は、竹下さんが8歳の時に亡くなられ、その後はお母様が代表として、お店を運営していたそうだ。

それから1年後の71年、竹下さんにとって大きな転機が訪れる。その頃の全日本洋服協同組合連合会では、ドイツ、スイス、フランス、そしてロンドンへ、テイラーの留学制度があり、竹下さんはその第3期生として、サヴィル・ロウの名店、キルガー,フレンチ&スタンバレー(現店名・キルガー)へ派遣される事が決まったのである。

「どうして、その留学生に、竹下さんが選ばれたんですか?」
「その派遣を決めていた人と、親が仲が良かったから……」
「若手が主に選ばれていたから……」

竹下さんと同じく、海外のテイラーへ留学された経歴のある方は、やはりキルガー,フレンチ&スタンバレーへ本間義朗さん(秋葉原・「本間屋」店主)、ハンツマンに吉川弘一さん(神保町・「吉川テーラー」店主)、ホゥウィス&カーティスに船橋幸彦さん(ミラノ・「サルトリア・イプシロン」代表)、ドイツのテイラー、ゼービッシュでは、熊田智光さん(郡山市・「テーラークマダ」店主。メンズクラブ・ドルソの02年春号でも紹介されてます)と大川歳雄さん(市川市・「メルシイ」店主。竹下さん曰く、「とても丁寧な仕事をする人」。※注1)等が、現在でも活躍中である。サヴィル・ロウにて日本人を受け入れていたお店は、キルガー,フレンチ&スタンバレー、ハンツマン、ホゥウィス&カーティス(現在は閉店)の3店との事。

なお、現在では、サヴィル・ロウに職人を受け入れる余裕がないため、この海外派遣研修制度は行われていない……。


竹下洋服店の野球チーム、「TAKESHITA」

60年代、竹下洋服店所属の職人さんたちで作った野球チーム、「TAKESHITA」。写真中央にいらっしゃるのは、竹下洋服店二代目・越川弦さん。
写真には映っておりませんが、竹下英雄さんご本人も所属していたそうです。
竹下さんのロンドン行きを伝える会報誌

竹下さんのロンドン行きを伝える、当時の千葉県テイラー組合会報誌。文中にある中島秀明さんは、後に第8期生として派遣される船橋幸彦さんとともに、エドワード王子のジャケット縫製を行う事になる。
キルガー,フレンチ&スタンバレーにて修行を始めた竹下さんは、芯地作りからスタート。そして夜は、テイラー&カッターアカデミーにてカッターの勉強と忙しい日々。有名なテイラー&カッターアカデミーだが、竹下さんが通っていたのは夜学だったせいか、生徒は3人程度の寂しいものであったそうだ。

72年に、竹下さんはそのテイラー&カッターアカデミーにて、ファースト・クラスのディプロマを取得。キルガー,フレンチ&スタンバレーでも、見習いを終えて正式なスタッフへと、確実に腕を上げて行った。留学決定時、在籍期間は1年の予定だったが、いつしか、それも延びていた……。
テイラー&カッターアカデミーにて

テイラー&カッターアカデミーにて。左端が竹下さん。
テイラー&ロッジの工場を訪問

生地メイカー、テイラー&ロッヂの工場を訪問
キルガー,フレンチ&スタンバレー

竹下さんが所属していた当時の、キルガー,フレンチ&スタンバレーのお店の外観。
キルガー,フレンチ&スタンバレーの店内

その当時の店内。
ホゥウィス&カーティス

キルガー,フレンチ&スタンバレー、ハンツマンとともに、日本人研修生を受け入れていたサヴィル・ロウ・テイラー、「ホゥウィス&カーティス」。現在は閉店。
初めての自作を着て

キルガー,フレンチ&スタンバレーに所属して、初めての自作を着て記念撮影。
それからさらに時を経ち、竹下さんはなんと弱冠26歳にして、キルガー,フレンチ&スタンバレーの礼服部門の縫製総責任者となる。自ら縫製も行う、現場監督である。ボスの引退を引き継ぐ形での就任だったそうだ。その当時、キルガー,フレンチ&スタンバレーにて縫製を担当していたのは、自社工房内のスタッフに、アウトワーカーを全て含めれば100人以上とのこと。竹下さんはその一部門のトップに立ったのだ。そして、その後、日本からキルガー,フレンチ&スタンバレーへやって来る職人さんたちは、皆、竹下さんの下で働く事になる。つまり、一時期のキルガー,フレンチ&スタンバレーの礼服は、すべて竹下さん率いる日本人チームによって仕立てられていたそうだ。

「礼服って、仕立てで一番難しいと聞いたんですけど……」
「そんなことないよ。全部難しいんだよ」

生前の竹下さんはそう語っていたが、それが謙遜なのか、事実なのかは分からない。
エルトン・ジョンといった有名人の服も仕立て、キルガー,フレンチ&スタンバレーのコレクション出展作品も手がける竹下さん。ロンドンで働く日本人テイラーたちということで、NHKが取材に来た事もあったそうだ。
ちなみに職人さんは、日本人の他に、南イタリアやギリシャ出身者も多かったとの事。しかし、店頭に立って、カッターとしてお客さんの身体に触れる事ができたのはイギリス人だけだったそうだ。

「どうして、日本人は店頭に立てなかったんでしょうか?」
「サヴィル・ロウは、そう言う所じゃない」(※注2)
礼服部門縫製総責任者・竹下英雄さん

礼服部門縫製総責任者時代。
竹下さんの作業の様子

作業の様子。
研修生の場合、通常は1~3年ほどで帰国するケースがほとんどだが、竹下さんは8年と、キルガー,フレンチ&スタンバレーに在籍していた日本人では最長を誇る。その当時の「英日ニュース」という冊子に、竹下さんに関する記事がある。タイトルは「Savile Rowの日本人」。執筆者は杉恵惇宏氏。以下、その記事の抜粋。



この店に一人の白面の日本人テイラーが働いていた。10年前、千葉県の洋服店組合に推されてこの店の見習いとなり、普通なら5年はかかる見習期間を2年で終え、今ではファッション・ショーのタキシードや、エルトン・ジョンなどの歌手、紳士服のフランス人デザイナー、ジバンシィ等の服を仕立てるプロである。一緒に来た仲間は、家から持参した金を遊びに使い果たしたり、日本恋しで1年そこいらで帰国して行った。誇り高いイギリスのプロフェッショナルにまじって一流になり得た裏にはさまざまなことがあったと推察するが、「きちんとやっていれば、店の人は見ていてくれますから」と彼はあくまでクール。店の鍵を預かる一人である。
店の間口はそれほどでもないが、奥行きはどこまでも深く、周囲の棚は服地で埋まり、通路にはこの店で仕立てるパターンが袋に入れて壁にかけてある。その中には、エリザベス女王、アン王女、マーガレット王女、ケント公爵夫人、それに日本皇太子の名前もある。地下1、2階には大小さまざまな裁断室、仕立室があって、イタリア人を含むカッター20人、テイラー35人が思い思いの姿勢で仕事をしていた。
彼の週給は120ポンド(1977年)を上まわり、カッターは160ポンドを越えるそうだから同年代のサラリーマンの倍近い給料をとる(※注3)。この店で上等の背広を仕立てて貰うと400ポンドから700ポンド(1977年)もかかり、この種の最高級品が日本の三越に並ぶと1,200ポンドの値がつくというからあきれるほかはない。彼に頼むと服地の卸し屋に連れて行ってくれて好きな服地を選んで手頃な値段で仕立ててくれる。



文中にある、「きちんとやっていれば、店の人は見ていてくれますから」の一言に、当時から控えめで、自己主張はしなかった竹下さんのお人柄が偲ばれる。

「どうして竹下さんは帰国せず、キルガーに残ったんですか?」
「ロンドンで遊んでいたかった」
「まあ、楽しかったんでしょうね」

僕が質問した時も、竹下さんはいつもこんな調子であった。



77年、サヴィル・ロウ・テイラーの価格表

「英日ニュース」に掲載されていた、当時のサヴィル・ロウ・テイラーの価格表。当時は1£=500円。キルガー,フレンチ&スタンバレーでは、3ピースで300£、2ピースで260£とある。

竹下さんの作業の様子

竹下さんの作業の様子。
竹下さんは就労ビザの都合上、一時スイスに在住。そして、その時期には車などでヨーロッパを巡り、各国のスーツを見て回ったそうだ。竹下さんのパスポートには、イギリス、スイスは当然のこと、西ドイツ、フランス、イタリア、オーストリア、ベルギー、オランダ、スウェーデン、デンマーク、スペイン、ポルトガル、ギリシャ等等、多くの国が書かれている。

「仕立てが丁寧なのは、ドイツ、スイス、日本。日本は、そこまでやらなくていいのに、というとこまでやるよ」

もっとも、イギリス式と日本式の仕立ては違うとのこと。
「針を入れる場所から違う。最初の一針が違えば、最後のやり方まで全部変わってくる」
その違いが、シルエット、ドレープに現れてくるとのこと。もし、日本式の仕立てを長年やって来た職人さんに、イギリス式の仕立てをやらせるなら?
「最初から最後まで、つきっきりに見て指導してあげないと無理」
「日本式の仕立てでやって来た職人さんが、イギリス式でやるのは怖がる」
職人さんにとって、今までのやり方を変えて行う事は、素人が考えている以上に難しい事らしい。生前の竹下さんは、イギリス式だとどう針を入れて、どう違いが出てくるのか、僕に詳しく説明して下さったのだが、内容が専門的すぎて、素人の僕ではまったく理解できなかったのが悔やまれる……。
キルガー,フレンチ&スタンバレーの職人さんと

キルガー,フレンチ&スタンバレー時代の写真から。
キルガー,フレンチ&スタンバレーの職人さんと

楽しそうな様子が伝わって来ます。
そして78年、29歳となった竹下さんは、お母様が亡くなられたのを機に、日本に帰国する。キルガー,フレンチ&スタンバレーのブロック・パターン(基本となる型紙)を手に。
竹下さんがキルガー,フレンチ&スタンバレーで勤務していた証明書には、こんな一文が記されている。

「もし将来、彼(竹下さん)が再びイギリスに戻って来る事を決意したならば、我々(キルガー,フレンチ&スタンバレー)はとても喜んで、彼を再雇用します」

日本人テイラーたちと

竹下さん、帰国の途へ。日本人のテイラー仲間たちと。中央でダブルのジャケットを着ているのが竹下さん。
キルガー,フレンチ&スタンバレーの仲間たちから贈られたアイロンと鋏

竹下さんが帰国に際し、キルガー,フレンチ&スタンバレーの仲間たちから贈られた、アイロンと鋏。実際に使用した事はなかったそうだ。アイロンは5kg以上はあろうか、鉄アレイのごとく重い。
竹下洋服店の二代目には、竹下さんのお義兄様であり、仕立て職人である越川弦さんが就任。竹下さん自身は職人の一人として、英国仕込みの腕を揮う。しかし、順風満帆にはいかなかったようだ。日本のお客様は、ゆったりとしたルーズなフィットを好む傾向があり、英国流のフィットは好まれなかったとのこと。
「こんな窮屈なスーツ、着られねえよ」
そんなクレームがついたりもしたという。これはサヴィル・ロウで修行した同僚たちも同様だそうで、仕方なしに日本式に仕立てを変更する人がほとんどだったそうだが、竹下さんは断固として変えなかったそうだ。



よく知られるとおり、スーツはどんどん既製品が占めるようになり、注文服業界は衰退の一方。竹下洋服店もその流れに逆らえず、規模の縮小を余儀なくされていく。
やがて、二代目の越川弦さんも高齢のために引退。竹下さんご自身が三代目となった。店舗も改築されて小さいものになり、会社も個人事業へ。
キルガー,フレンチ&スタンバレーのブロック・パターンもいつしか使わなくなった。縫製も、キルガー,フレンチ&スタンバレー時代ほどハンドに頼らなくなり、ハンドで仕上げるのは、通常、肩のみとなった。

再びブロック・パターンの使用を始めたのは、ごく数年前のこと。服飾好きのHさんが、「キルガー,フレンチ&スタンバレーで8年勤めていた、日本人テイラーがいる」という噂を聞いて、竹下洋服店を訪問。そのHさんの頼みあってのブロック・パターンの復活であった。
Hさんは竹下さんのスーツの出来に感動。すぐに常連客へ。そのHさんと、革靴サイトの第一人者として知られるNoriさんの尽力もあって、ホームページも開設。もちろんNoriさんご自身も、竹下さんの顧客となった。
そして、竹下さんの評判を耳にした僕も、03年末、スーツとコートを一着づつ注文。僕がキルガー,フレンチ&スタンバレーと同様のハンド率で仕立てをお願いしたいと言った時には、「10数年ぶりにやる」という答えが返ってきた……。

「肩以外をハンドでやっても、そんなに着心地変わるかなあ……?ハンドでやれば、ラインは柔らかくなりますけどね」
竹下さんお一人で全作業を行うため、そんな服作りについての会話も楽しめるのも魅力だった。

ご遺族の方のお話では、以前よりも若いお客様が増え、竹下さんは嬉しそうにされていたとの事。竹下さんは、新たに試着用の台をお店に設置したりと、仕事への意欲はいささかも衰えていなかった。



キルガー,フレンチ&スタンバレー在籍期間が長かった竹下さん、それゆえに、後からロンドンへやって来る日本人留学生からも"先輩"として頼られる存在。その頃の竹下さんが、ある著名日本人テイラーへ送った言葉がある。
「袖付けを諦める事は、人生をも諦める事だ」
     竹下 英雄


現在、竹下洋服店では、竹下さんのキルガー,フレンチ&スタンバレー時代の後輩の方が仕事を引き継ぎ、営業を続けております。前もって電話でアポイントをとって頂ければ、お店への訪問が可能です。ご興味のある方はいかがでしょうか?ご連絡先とお仕立て料金については、竹下洋服店のホームページにて、ご確認下さい。

最後に、今回のページ作成に際して多大なご協力を下さいました、竹下さんのご遺族の皆様、Hさん、KAさん、心からお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。

※画像はクリックして頂きますと、拡大画像が出ます。




※注1・08年にご逝去。(09年5月11日追記)

※注2・サヴィル・ロウ・テイラーでは店の品格も重んじる。カッターは言葉に訛りがあれば直させられ、モデルのように見栄えの良い方が優先させられる。ただ、以上は70年代の話であり、21世紀現在はそれを崩しつつあるお店もある。(09年5月17日追記)

※注3・72年時で、サヴィル・ロウ・テイラーの一流職人さんで週給40~50£。”Boy”と呼ばれる、いわゆる丁稚さんは週給5£。(09年5月8日追記)







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