高橋孝さん ~ 50年の熟練技 ~

靴修理師・底付け職人

高橋 孝
昭和初期の頃、かつてはスーツ同様、革靴も誂えるものであった。当然、その当時には注文靴の職人さんは日本中にたくさんいて、腕を振るっていた。しかし、靴業界にも機械化の波に押し寄せ、安価な既製靴が一般的になると、注文靴屋さんもどんどん姿を消していき、現在のような小売業へと変わっていった。

高橋孝さんは、そんな時代の趨勢の中でも、戦後から現在に至るまでの50年以上、自らの腕一本でご活躍されてきた方だ。高橋さんは、もともと注文靴の職人さんだったが、既製靴が普及するにつれて靴製作の依頼が少なくなり、20年ほど前からは靴修理師として腕を振るい続けている。現在ではその腕前をかわれて、某有名高級靴ブランドの修理も請け負っている。



高橋さんが店主を務める「高橋靴店」は、高橋さんのお父様の代から続いている老舗。高橋さんはいわゆる"門前の小僧"として、自ずとご自分も靴製作を行うようになり、10代半ばには、既に工房に入って働いていたとのこと。製靴技術は、お父様はもちろん、当時いっしょに働いていた職人さんに教わり、また、ご自分で別のお店の職人さんのところへ教えてもらいにも行ったそうだ。

「その当時(昭和20年代)は"渡り職人"といって、どこの工房にも属さず、色んな工房を渡り歩いて、仕事をしている職人さんがいた。自分の腕だけで勝負しているんだよね。そういう職人さんから教わったりもしたよ」

職人技が靴業界を支えていた、当時らしいエピソードも話して下さった。昔はやはり職人気質の方が多く、なかなか自分の技術は他人には教えてくれないのでは?と、僕は勝手に思い込んでいたのだが、実際はそうでもないらしい。教えてくれと言えば、みんな、割と簡単に教えてくれたそうだ。
さすがに、高橋さんに靴製作についてお話を伺うと、その年季の深さゆえの職人のノウハウ、工夫、知恵が溢れんばかりに出てくる。

「ふのりには、ホルマリンを入れておくと腐らない」
「釘は塩水につけて、わざと錆びらせておく。そうすれば、打ち込んだ後に抜けることがない」
「蝋を使う際は、木蝋が軟らかくて使いやすい」



僕はこの高橋さんに、マスターロイドのつま先補修をお願いしたのだが、まず驚いたのが、その仕事の手の込みよう!通常のつま先補修の場合、磨り減った部分に半月型の補修パーツを接着するわけだが、高橋さんはそれだけで終わらない。高橋さんの場合、つま先部分に入っている出し縫い糸もいったん抜いてしまい、補修パーツを付けた後、さらにその部分に、新たに出し縫いをかけ直してくれる。しかも、手縫い!
手縫いの場合、もともと開いてる針穴に、一針、一針、丁寧に糸を通していくため、マシンで出し縫いをかけ直すのと違って、ウェルトを傷める事がない。また、補修パーツを付ける際には、その補修パーツが修理部に合わさるよう、一部分を削る必要があるわけだが、その削る作業の際にも、手作業で丁寧に削っていくため、余分に削ってしまう事もない。
上にある画像の左が、修理後のつま先を上から見た図だが、ご覧のとおり、オリジナル部分の縫いと、縫い直した部分の継ぎ目は、まったく分からない。右の画像は、修理後のつま先部分を下から見た図で、出し縫いをかけ直した痕が、ハッキリと分かる。

オールソールに関しても、要望があれば手縫いでやってくれる。もちろん、つま先補修と同様、出し縫いを手作業で行うと、ウェルトの痛みは少ない。

手縫いだから手間がかかるわけだが、当の高橋さんは、「ずっとやってるから」と、余裕の表情だ。

手作業の出し縫い

機械の出し縫い
ちなみに、同じ出し縫いでも、手作業と機械とでは縫い方が異なる。上にある画像の、左が手作業による出し縫い図で、右が機械による出し縫い図(クリックして頂ければ、拡大画像が出ます)。黄色と赤のラインが、出し縫い糸です。

手作業の出し縫いは、左図のとおり、糸はソールを貫通して交互に入っており、糸は一本で縫い合わされる(一本の糸なのですが、図上ではあえて、上糸と下糸は別の色で描きました)。
それに対して機械の出し縫いは、右図のとおり、一本の糸ではなく、二本の糸で縫い合わされる。そして、それぞれの糸はソールを貫通してなく、上糸と下糸が引っ掛けあって繋ぎ合わさっている(ロックステッチと言うらしいです)。
つまり、手作業による出し縫いの方が、糸が貫通して上下からソールを締め上げているため、耐久性があるわけだ。

さらには、機械の出し縫いの場合は、下糸が切れてしまったら、その下糸に引っかかっている上糸まで抜けてしまう、というデメリットもある。だが、手作業による出し縫いは、糸が交互に入っているので、仮に下糸が切れてしまっても、上糸はそれぞれ独立しているため、一緒に全て抜ける事はない。
また、この縫い糸には、接着性と防水性、そして耐久性を持たせるために、松脂(チャンと呼ばれます)が塗られるのだが、機械の出し縫い糸は、この松脂が下糸にしか付いていない。しかし、ハンドの出し縫いは一本なので、糸全面に松脂が付いている。当然、糸は抜けにくい。

もっとも、擦り減りによって、機械の出し縫いの下糸が切れてしまっても、下糸の∩部分がソール内に残っていれば、上糸は殆ど抜けないらしい。出し縫いは針穴が小さいため、∩部分は針穴内部にに引っかかったまま、残っているのだそうだ。だから、出し縫いが機械であろうとも、そう気にするべき事ではないかもしれない。



まだまだ他にも、高橋さんならではの独自の技がある。つま先補修の際に、つま先の革がまだある程度残っている場合は、左の画像のようにつま先部分を剥いて、その中に補修パーツを挟み込み、そして出し縫いをかけて補修する。
こうすれば、まだ残っているオリジナルのソールを最後まで使え、なおかつ見た目には修理してないようにも見える(チャネルソールの場合は、修理跡が残ってしまいますが)。もっとも、面倒な作業でもあるので、あまり積極的にはやらないらしい(笑)。






高橋さんは現在、靴修理のみをやってらっしゃるが、ご自身が作られた靴が1足だけ残っているので、それを見せてもらった。①の画像がそれだ。エラスティックにイミテーションの革紐が付いており、一見は普通の短靴に見える、スリップォンシューズだ。もちろん、総手縫い仕上げ。高橋さんが、ご自身のお父様のために作ったとの事で、お父様が亡くなられた後は、ご自分で履いているという。
②の画像にある出し縫いのピッチを見ると、さすがに細かく、そして機械のように規則的に刻まれている。そして③と④の画像からは、足にフィットするよう、土踏まず部分がグッとえぐれつつ、かつ立体的に仕上がっているのが分かる。当然だが、中底には手で釣り込んだ証拠の釘跡もある。
また、⑤の画像に見られる、矢筈仕上げもひときわ目を引く。角には丸みがあり、控えめな仕上がり。こちらも機械ではなく、手作業で仕上げてある。ちなみに⑥の画像が、矢筈仕上げ用のコテ。



"ハンド"、"手仕事"というのは、「なんだか良さそうだ」と、惑わされやすい言葉だ。手仕事だから良いというわけではなく、良い仕上げをするための手仕事(当たり前なんですが)。手仕事でも、肝心なところで手を抜かれていたら意味がないし、職人さんの腕が悪かったら、機械に劣ることだってありうるはず。
それに、マシンが悪いとは決して言い切れないと思う。マシンの発明により、少ないコストで、良質(それなりの質も、多々ありますが)の製品が、安定して大量生産されるようになったのだから、マシンが社会に及ぼした貢献度は非常に大きいと思う。そして、そのマシンを作り出した人たちの努力も、並大抵のものではなかったであろうし、その功績は賞賛すべきだと思う。
しかし、その一方で、やはり手作業だからできること、手作業でないとできないことは、確かに存在する。靴だけではなく、色んな分野で。そして、高橋さんの手の中にも、その手作業の素晴らしさが息づいている。



※今回のテキストは、靴修理のお仕事をされているMさんから色々と教えて頂きながら、完成させました。本当に感謝にたえません。どうもありがとうございました。
また、この高橋さんの事も、2年ほど前にムシジロウさんから教えて頂きました。どうもありがとうございました。ムシジロウさんにもお世話になりっぱなしですね、僕は。


※2011年いっぱいで高橋さんはお仕事を引退され、現在は営業しておりません。(2012年3月7日・追記)



参考までに、高橋靴店のご住所をお伝え致します。
東京都港区西麻布1-11-10。ビルの最上階にあります。六本木駅か表参道駅、もしくは渋谷駅から、徒歩で20~25分ぐらいです。バスを使ったほうがよろしいかもしれません。都営バスの西麻布の停留所からでしたら、徒歩2分ぐらいです。
土日祝祭日はお休みです。なお、一人でやっているお店のため、事前の電話予約が必要となります。電話番号は、03-3408-1564。料金は以下のとおりです。
ヒール交換・2,500円
つま先交換(手縫い)・3,000円
オールソール・15,000円(チャネルソールの場合も同額)

手縫いのオールソール・応相談。ただし、マッケイ製法は不可。

※あくまでも参考料金です。修理内容や方法によって、値段は変動します。


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