ワルシャワの注文靴店 ブルノン・カミンスキー
Bespoke shoe maker at Warszawa Brunon Kaminski |
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ワルシャワの注文靴店・第3回は、1943年創業のブルノン・カミンスキーです。現在は創業者の甥である、ヤチェク・カミンスキーさんが2代目当主としてお店を運営されております。ヤチェクさんは79年からこのお店に勤めるようになり、83年に従弟の資格を取得。86年にはマスター・クラフツマンの資格も所得と、キャリアは十分です。 そして、ポーランドで従弟の資格、マスター・クラフツマンの資格があるという事は、それだけ注文靴の分野が確立されているという事でしょうね。 価格(04年11月時点)は短靴の場合、メンズで1,400ズウォティ(約49,000円)〜、レディースで1,100ズウォティ(約38,500円)〜。ブーツは1,800〜2,000(約63,000〜70,000円)ズウォティ。ショート・ブーツで1,600ズウォティ(約56,000円)〜との事でした。 完成までは2・3週間ほどとの事でして、やはり早いですね。こちらでも、仮縫いはないと思われます。 ※ 4・5・7〜14枚目の画像をクリックして頂きますと、拡大画像が出ます。 |
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結露のせいでちょっと分かりにくいですが、ブルノン・カミンスキーの看板です。左下、右下にあるのは、以前のMen's Exで掲載された、中島渉さんによるブルノン・カミンスキーの記事です(笑)。 |
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ブルノン・カミンスキーの店内。お店の奥中央に、革が巻いた状態で積まれておりますが、オーソドックスな黒、茶系だけでなく、赤、パープル、パーマイエローレモン、コーバーブルーと、様々な色が取り揃えられております。レディースの注文も多いからなのでしょうね。なお、机の右端に置かれているのは、革のスワッチです。 お店の住所はul. Nowz Swiat 22, Warszawa。新世界通りの裏に入ったところにありまして、目立たない場所にあります。でも、僕が訪れたワルシャワのビスポーク・シュー・メイカーで、もっともお客の出入りが激しかったのが、このブルノン・カミンスキーでした。 お店は広くなく、外装、内装、ともに飾り気がありません。注文靴店と言うよりは、町の靴屋さん。実績を考えれば、十分に"格"のあるお店なのですが、それを感じさせない親しみやすさ。地域住民とのふれあいが感じられ、"赤ひげ"な雰囲気が非常によく伝わってきました。 |
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店内に飾られていた免状や賞状は全部で13枚(!)かそれ以上だったでしょうか。上画像はそのうちの一部です。創業者であるブルノン・カミンスキー氏が取得したものだそうです。 さて、入店した僕ですが、お店は込み合っており、スタッフさんは忙しそう。とても話しかけられる雰囲気ではないので、とりあえず店内を眺める僕。 「何か御用ですか?」 間もなく、手の空いた若い女性スタッフさんが声をかけてくれました。 「すいません、英語は話せますか?」 「あ、それじゃー、ちょっと待って下さい」 そう言って呼んで下さったのは、現当主であるヤチェク・カミンスキーさんでした。どうやらこのお店では、ヤチェクさんのみ英語が可能のようです。ヤチェクさんに撮影許可を頂き、店内を撮影する僕。 |
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東欧靴にはちょっと見えません。右のポインテッドトウのラインは、最近のサントーニに似ていますね。シェイプも細身ですし、なんだか現代的! 現代的と言えば、90年代後半に日本でも流行した、レディース用の厚底ブーツもありました。ポーランドの有名歌手、ユスティナ・ステチコフスカさんが注文したそうです。 |
コーバーブルーのブーツは目を引きますね。その右隣は、中世ヨーロッパの靴と同じデザイン!舞台や映画用の靴も作っているそうなので、こういった、現代ではとても履かないヒストリカルなデザインもありました。 |
反射して見難いですが、お店に飾られていた、過去の作品の写真です。左上と右下にある古典的な編み上げブーツと、右上にある靴は、イェジー・ホフマン監督の映画、「Stara basn」用に制作したそうです。 他にも、同じくイェジー・ホフマン監督の「遠雷」、「ファイアー&ソード」、アンジェイ・ワイダ監督の「パン・タデウシュ物語」、「Zemsta」、イェジー・カヴァレロヴィッチ監督の「クォ・ヴァディス」(ネロ皇帝の靴)、割と最近では「Pragnienie milosci」というショパンの生涯を描いた映画や(ショパンの靴)、ロマン・ポランスキー監督の「戦場のピアニスト」の靴も手がけたそうです。あらゆる時代のポーランドの靴を忠実に再現! |
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こちらはメンズのサンプル。木釘を用いたモデルも存在しました。 |
ショート・ブーツのサンプル。撮影して来ませんでしたが、乗馬靴のサンプルも豊富です。 |
ヤチェクさんは親切にも、ショウ・ウィンドゥから靴を取り出して、椅子に並べて下さり、撮影しやすいようにご協力して下さいました。ヤチェクさん、ありがとう……。 しかし、僕があまりに撮影しまくるせいか、ヤチェクさんはだんだんと怪訝な表情になって来ました。険悪な雰囲気は避けたい……。不安になった僕は、こう説明しました。 「えっとですね、僕はヨーロッパ中の靴屋さんを巡る旅をしてるんです(あ〜あ)。ロンドン、ウィーン、プラハと来て(本当はチェスキー・クルムロフにも行ったんですが、省略)、今、ここワルシャワに着いたんですね」 我ながら、かなり恥ずかしい説明をする僕。日本の靴オタクって、本当に痛いですね。 「なんだ、そういう事なのかい」 ニッコリと笑うヤチェクさん。誤解(?)は解けた……かな?さらに僕は聞く。 「カタログはないんですか?」 するとヤチェクさん、紙媒体のカタログはないそうなので、CD-ROMを下さいました!感激してしまう僕。このCD-ROMには、ヤチェクさんの経歴に、代表作の画像、そして、以前のMen's Ex、最高級靴読本に掲載された、ブルノン・カミンスキーの記事が入っておりました(笑)。 「よし、君にいい物を見せてあげよう」 ヤチェクさんはスタッフさんを呼んで、アルバムを持って来させました。そして、そのアルバムの中は、靴の写真がいっぱい。どうやら、過去に制作した作品のようです。ヤチェクさんは、そのアルバムをペラペラめくって、「あれ?ないな」といった表情。次に、近くにあった棚から別のアルバムを取り出し、またペラペラめくっていくヤチェクさん。 「あったあった。これを見てごらん」 |
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アルバムから、この写真を取り出すヤチェクさん。 「叔父のブルノンは、この靴で、ミュンヘンで行われた靴コンテストで銀メダルを受賞したんだ」 なんと!その昔、ミュンヘンにて靴コンテストが行われていたとは!初めて聞く話に驚嘆する僕。1956年に受賞したそうです。 「この靴は……これさ」 そう言って、地面を滑る身振りをするヤチェクさん。 「ローラースケート?」 「そうさ!」 ハイヒール型のローラースケート!しかも飛行機型のデザイン!こういったユニークな発想が評価されるコンテストとは素晴らしい! 「これもハンドメイド・シューズなんですか?」 「もちろんさ!」 考えてみれば、野暮な質問でした。こんな凝った靴、ハンドメイドじゃないと作れないですよね。 「これも、撮影していいですか?」 「ん?その必要はないさ。この写真は、君にあげるよ」 なんとー!ありがたいお言葉に感激。 「ありがとうございます!宝物にします!」 お言葉に甘えて頂くことに。こ、こんなに親切にしてもらっていいのかしら……。 ちなみに、この1956年に開かれたコンテストでの金メダリストは、チット・ペトロッキィ氏。ローマにあるビスポーク・シュー・メイカー、ペトロッキィの創業者です。 |
「そして、金メダルを受賞したのが、この靴さ」 続いてヤチェクさんは、このハイヒールを指しました。ヤチェクさんは「フラワー」と呼んでおりまして、その名のとおり、花を模した、可愛らしいデザインですね。色使いが鮮やかです。 お店のショップ・カードや看板にも、この靴が描かれておりまして、まるでこのお店の象徴のようです。1958年5月10日に受賞したとの事。 ちなみに、このミュンヘンでの靴コンテストは、ルドルフ・シェア&ゾーネ6代目、カール・フェルディナンド・シェア氏(現当主の祖父)も金メダル獲得歴があるそうです。六義の花川さんによると、「先代のカールさんは、60年代に、オートクチュールのデザイナーとともに、素晴らしい靴を淑女のために創ったのです」との事ですので、やはりレディースの靴で受賞されたのでしょうか。もしかしたらこの靴コンテストは、レディース・シューズのみが対象だったのかもしれませんね。 なお、このミュンヘンの靴コンテストについて、ドイツの靴職人、ベンヤミン・クレマン親方に聞いてみたところ、「知らない」との事でしたので、現在では行われていないようです。 また、このコンテストは、現在ヴィースバーデンで行われている国際靴職人技能コンクールと関係があるのでしょうか?そして、ブルノン・カミンスキー氏はそのヴィースバーデンのコンクールでも入賞歴があるそうです。 |
チット・ペトロッキィ氏が1956年の靴コンテストにて獲得した、金メダル受賞の賞状。こちらの画像は深野一朗さん(スペンサーさん)よりご提供頂きました。どうもありがとうございました! |
そしてこちらは、同年にブルノン・カミンスキー氏が獲得した、銀メダル受賞の賞状です。 |
こちらもショウ・ウィンドウに収められていた靴。後ろにメダルが飾られているという事は、この靴でもメダルを受賞されたのでしょうか? |
こちらもやはり、メダルとともに飾られておりました。ブルノン・カミンスキーに限らず、ワルシャワの注文靴店の大きな特徴は、メンズの短靴だけでなく、レディース、乗馬靴のサンプルも充実している事です。相応に注文もあるという事でしょうか。 |
「あっ、そうそう、ワルシャワには靴博物館があるんだ。小さいけどね」 ヤチェクさんから、またも興味深いお言葉が!まさかポーランドに靴博物館まで存在するとは!やはりポーランドには、確かな靴文化が根付いてるという事でしょう。日本で読んだポーランドのガイドブックには、靴博物館なんて全然載ってなかったぞー。それだけ小さいという事か。 「えーっとね、どう行けばいいんだったかな……」 ヤチェクさんはまたも親切にも、メモ用紙を取って、靴博物館への地図を書き出して下さいました。な、なんて優しい人なんだーっ! 「ここが旧市街で、ここがバルバカンで……」 「あ、はい、バルバカンなら分かります!」 バルバカンとは、ワルシャワ旧市街(ちなみに世界遺産)にある小さい砦の事です。 「んーと、ここがバルバカンで………あー、どう行けばいいんだったかなあ?…………おおい!」 お店の奥にいる、職人さんを呼ぶヤチェクさん。 「靴博物館の場所ってどこだったっけ?ここがバルバカンで、ここが……」 「ああ、そこに行くには、そこをこう行って、こう行けばいいんだ」 ポーランド語なので、正確な会話の内容は分かりませんでしたが、どうやらヤチェクさんと職人さんは、そんな事を話しているようです。すると、今度は別の職人さんが現れて、話に割り込んできました。 「いや、靴博物館なら、そこをこう行くより、こうこうこうこうこう行った方が分かりやすいぞ」 「何を言ってるんだ、ここをこうこうこう行った方が近道じゃないか」 店内は大騒ぎです。突然現れた靴オタクのために、スタッフの皆さん、そこまでして下さるなんて……。 あまりの親切心に、僕は思いっきり恐縮………するのを通り越して、呆然と立ち尽くしてしまいました。 女性スタッフさんは僕に対して、「すいませんね、うるさくなっちゃって」といった感じの、すまなさそうな表情を向けてました。 「い、いやいや、たかだか一旅行者の僕に対して、ここまでしてくれるなんて、本当に申し訳ないです……本当にすいません……。どうもありがとうございます……」 本当はそう言いたかったのですが、ポーランド語でそんな事言えるわけないので、心の中で言いました。 ポーランドは本当に親切な人が多いです。ポーランドが親日国のせいでしょうか?まあ、そんな親切な人が多いポーランドでも、夜行列車内で恐喝されたり、夜道で襲われたりする日本人もいるのですが……。 「よし、場所が分かったぞっ」 騒ぎが収まって、僕に笑いかけてくるヤチェクさん。 「ここがバルバカンで、ここをこう行って、こう行けばあるよ」 僕に地図を渡して、そう説明して下さいました。 「小さい博物館だからね、よく探すといいよ」 そう念押しするヤチェクさん。 「そして、その靴博物館に、そのローラースケートのハイヒールが展示されているんだ」 ここまで親切にしてもらったからには、やはり靴を注文すべきではないか? そんな思いがよぎる僕。しかし、これからも一ヶ月以上旅を続ける予定。出費が怖いために、結局、注文は見送る事に。我ながら罰当たりな僕。 お礼を言って、お店を後にしました。次にワルシャワに行った際には、必ず注文する予定でおります。ヤチェクさん、皆さん、ありがとうございました! |
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