ぢんたさんのジョージ・クレヴァリーと アンソニー・クレヴァリー報告 Bespoke shoe maker at London GEORGE CLEVERLEY, ANTHONY CLEVERLEY |
ぢんたさんからのご報告、ついにラスト!締めくくりは、すっかりお馴染みとなったジョージ・クレヴァリーと、そのジョージ氏と甥の関係であり、知る人ぞ知る靴職人、アンソニー・クレヴァリーのご紹介です!サンプル靴のロングノーズ、ナローシェイプはクレヴァリーのハウススタイルそのものですね。有名なチゼルトウだけでなく、エッグトウのサンプルもあるのが印象的です。 ではでは、ぢんたさんのコメントとともに、ご覧になって下さい。4・5番目の画像をクリックして頂きますと、拡大画像が出ます。 ぢんたさん、本当に貴重な画像の数々、どうもありがとうございました! |
クレバリーのあるROYAL ARCADE入り口。 |
クレバリー店舗ショウウインドウ。 |
ロシアンレインディアのドーバー(笑) |
モレとグラ。 |
以下からはアンソニー・クレヴァリーのご紹介になります。 ジョージ・クレヴァリーと作風は似ているようですが、エッジの際立ち具合は、ぢんたさんのコメントのとおり、どちらかと言うとコルテ?といったカンジです。 3つあるローファーのうち、真ん中のモノは、ベルルッティのアンディにも似ておりますね。デザインとしては、なんだか今ドキ感が見えるのが面白いです。 1番目の画像をクリックして頂きますと、拡大画像が出ます。 では、まずは画像の前に、ぢんたさんが伺ってきました、アンソニー・クレヴァリーのエピソードをどうぞ! アンソニーとジョージは兄弟そろってtuczekで働いてた。ビスポークシューメイキング論でいつも二人は対立していた。 トゥーシェック廃業後アンソニーは独立、ジョージはポールセンスコーンに行く。そしてジョージが亡くなるまで二人が口を利くことはなかった・・・アンソニーは一時期は店舗を持っていたものの、後には決まった数人の為だけに作っていた。メンバーの紹介無しには客にも成れなかった。仕事は全て一人でこなしていた。しかし顧客は口を揃えてアンソニーが最高だったと誉めていた。(いろいろなところでビスポークシューズを300足作った人も) 価格は常にジョンロブの1.5倍で、ロンドンで最高額だった。クオリティも価格相応で、誰にも真似の出来ないすばらしいものを作っていた。 アンソニーの死後、(2,3年前)クレバリー.COが残っていた木型、顧客リスト、アルバムを遺族から購入。 以上、口伝ですので事実と違う部分が有るかも知れません。ご了承ください! |
オーベルシーに渡った靴にとても似てますね。今回のトレポワントにオーベルシーの「ANTHONY」というモデルが出てましたがそっくりです。 |
アンソニーのインソック。靴底にAのマークかなにかが入るという噂も聞いたことが在るが、裏は見損ねました。 |
新人の木型職人さん(名前失念!失礼。)とアンソニーの本。この本は重いので日本には持っていけないそうです。ぜひ、本店でご覧下さい! |
これよりアンソニーのサンプルです。コルテよりコルテっぽい(爆)のもありますね。 |
GEORGE CLEVERLEY MAP |
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