ビスポーク・シューズにおける木製ラストとプラスティックラスト
The wood last and plastic last in Bespoke shoes
「ビスポークでプラスティックラスト?」
「プラスティックラストって既製で使うんじゃない?」
「こんなにたくさんのプラスティックラスト初めて見たよ」


それは忘れもしない、2010年11月の事です。僕は欧州で活動しているビスポーク・シューズの職人さんと、東京の某著名ビスポーク・シュー・メイカーを見学に行ったのですが、その職人さんは工房内にあるプラスティックラストを見るなり、そう驚いたのです。

そして、その驚いているビスポーク・シューズの職人さんを見て、僕が驚いてしまいました。ご存知のとおり、日本のビスポーク・シュー・メイカーでは、プラスティックラストは当たり前に使用されており、特段驚く事ではありません(もちろん、木製ラストを使用しているメイカーもありますが)。しかし、そのプラティックラストが……、この職人さんには奇異に映っている。どうしてそんなに驚いているのだ!?

この時、僕が真っ先に思い浮かんだのが、06年夏、フォスター&サンにて、テリー・ムーアさんから伺った言葉です。

「プラスティックラストはあくまで大量生産のために作り出されたもの。ビスポークのラストとは呼べない」

これを聞いた際、僕は単にテリーさんが古い人だからそう言うのかな?昔から慣れ親しんだ、木製ラストにこだわっているのかな?その程度にしか思っていませんでした。

が、しかしそうではない!今ここで、欧州からやって来た若い職人さんも驚いている!

続いて思い出したのが、僕が04年冬に訪れた、サン・クリスピンの工房です。サン・クリスピンでは、
木製ラストはビスポーク用、プラスティックラストはプレタポルテ用と、はっきり区別して使用していました。何か理由があって区別していただろうに、そこまで自分の考えが及んでいなかった……。

さらに印象に残っているのが、ドイツによくある600ユーロほどの、安価なビスポーク・シュー・メイカーの存在です。やはり安いだけあって、素材はあまり良くないし、ハンドメイドではあるものの、ある程度、工程は省略しています(一言でハンドメイドと言っても、作り方や手間のかけ方は様々です)。しかし、そうやってコストダウンを図っているにも関わらず、使用しているのは木製ラストでした。プラスティックラストなら、さらにコストダウンできるのに、どうして木製ラストなんだろう?と不思議でした。

それだけ、欧州のビスポーク・シュー・メイカーでは、木製ラストが積極的に使用されているのを目の当たりにしていたのに……。これまで僕は、プラスティックラストに疑問を抱けずにいました。

「プラスティックラスト、見た目は安っぽいけど、高温多湿の日本では経年変化しづらい利点もあるし、良いラストが作れれば、それでいいじゃん」

そのくらいにしか思っていませんでした。プラスティックラストを当たり前に使用し、それに対して、不満や疑問の声が聞こえて来ない、日本のビスポーク・シュー・メイカー事情に慣れすぎていました。しかし、欧州から来た靴職人さんの、プラスティックラストに対する驚きようを見て、ようやく目が覚めました。

ビスポーク・シューズは木製ラストが理想的なのではないか?

僕はこの瞬間から、ビスポーク・シューズにおいて、木製ラストにはどう言った利点があるのか調べるようになりました。欧州から来た職人さんは、ビスポーク・シューズにプラスティックラストを用いるのに、なぜこんなに驚いたのだ?絶対に何か理由があるはずだ!



木製ラストしか存在しないフォスター&サンのラスト保管室

フォスター&サンのラスト保管室。大量のラストの中、プラスティックラストは一つも見当たらない……。
ビスポーク用は木製ラストのサン・クリスピン 既製用はプラスティックラストのサン・クリスピン

サン・クリスピンのラスト保管棚。木製ラストはビスポーク用(左上画像)、プラスティックラストはプレタポルテ用(右上画像)と、はっきり区別されていました。
「さっき見学した時さ、プラスティックラストに随分驚いてたじゃん」

僕は東京の某ビスポーク・シュー・メイカーを見学した帰路、その欧州から来たビスポーク・シューズの職人さんに聞いてみました。

「あれって何か理由あるの?欧州では、ビスポーク・シューズでプラスティックラストは使わないの?」
「自分が働いてた所では、使った事ないな」
「でもさ、日本ではプラスティックラスト使うの普通だよ。木製ラストを使う、何か利点あるの?」
「ん~、何でだろうね?欧州の方が木材豊富そうじゃん。天然素材の方が馴染み良さそうだし。そう言う理由じゃないの?」

この曖昧な返答にも驚きました。この職人さんにとって、ビスポーク・シューズで木製ラストを使うのは当たり前すぎて、理由を考えるような事ですらないようなのです。例えば、「どうして日本人は、食事の時に箸を使うの?」と同じような質問だったみたいです。この職人さんの口ぶりを見て、僕は確信しました。

この職人さん、本当に初めて見たんだ。こんなにたくさんのプラスティックラスト。

そして、日本人がなぜ箸を使うかについて、深く考えていくと、「古来より日本人の主食は米や豆であり、これらを取るには、箸の方が優れているから」と言う理由があります。それと同様に、欧州においてビスポーク・シューズはなぜ木製ラストを使うかも、確たる理由があるはずだ……。



その後、僕は自分の知る靴職人さんに聞いたり、靴雑誌や靴関連ウェブサイトを読み返したりして、欧州における、木製ラストとプラスティックラストの事情について調べてみました。前述した、欧州から来たビスポーク・シューズの職人さんともメールのやり取りをして、詳しい情報を頂きました。

結果、各国のビスポーク・シュー・メイカーの使用ラストについて、分かった事は……。

【英国】
ほとんど木製ラスト。ただ、クラシックな手法にこだわってないメイカーの場合、プラスティックラストを使ったりするそうです。


【フランス】
ほとんど木製ラスト。英国と同じ傾向のようです。


【イタリア】
木製ラストが多い。プラスティックラストを使用しているメイカーもあるが、それは仕事の質を落として、コストダウンを図っているメイカーだそうです(その分、価格も安い場合が多い)。もっとも、プラスティックラストを使用しているメイカーでも、大抵は木製ラストと併用しており、生産全てをプラスティックラストでまかなっているメイカーは少ないようです。

なぜ木製ラストとプラスティックラストを併用しているかについては、フィレンツェで活動していた職人さんによると、「推測ですが」と前置きしたうえで、「あまりラストの形状を変えなくて済む場合、プラスティックラストで作るんじゃないかな」との事です。


【ドイツ・オーストリア】
全て木製。まず、ビスポーク用ラストをプラスティックで作るラスト屋さんが国内に存在しないそうです。

ある日本人靴職人さんが、オーストリアの某著名ビスポーク・シュー・メイカーへ修行に行った際、 プラスティック製による自作ラストを見せようとしたら、取り出した途端に、「プレタラスト!」と言われたそうです。プラスティックラストと言う時点で、欧州では通用しないのが分かり、大分ショックだったとか……。


【ハンガリー】
木製ラストが大半だが、プラスティックラストを使うメイカーもある。ただ、そのプラスティックラストもハンガリーでは作ってなく、他国へ外注しているそうです。


【アメリカ・カナダ】
木製ラストとプラスティックラストを併用するメイカーが多く、欧州と比べてプラスティックラスト使用率は高いようです。

あと、少ない例を見聞きしただけですが、ポーランドとスウェーデンも木製ラストが主流のようです。僕も世界中のビスポーク・シュー・メイカー全てを調べたわけではないので、手落ちや例外はあるかもしれませんが、欧州は日本と比べて、木製ラスト使用率が高いのが分かると思います。これには、日本のラスト屋さんが、木製には消極的と言う理由もあるようです(最近は変わってきているようですが)。

それでは、なぜ欧州ではビスポーク・シューズは木製ラストが主流なのか?木製ラストにこだわる理由は何なのか?




【形状を変化させやすい】
ビスポークのラストだと、当然、形状を変化させる事が求められます。そのため、ラストに革を貼ったり、パテを盛ったりしますが、プラスティックラストだと接着の相性が悪く、日が経つに去れ、だんだん剥がれてくるのだそうです。また、トウの形状を変えるためにパテを盛っても、日が経つにつれ、そのパテが反り上がってくるのだとか。

つまり、プラスティックラストだと形状を変化させるのに向いてないうえ、変化させた後の形状保持にも向いてないのです。一方で木製ラストは、革は貼り付けやすく、その後も剥がれたりしないそうです。

木製ラストは、天然素材がゆえに経年変化する点を聞いてみましたら、「言われているほど変わらない」とも言われました。

一方で、削る作業においては、「プラスティックラストは柔らかくて削りやすい」と言う方と、「プラスティックラストは硬くてヤスリが入らない」と言う方、意見が分かれました。おそらく、プラスティックラストでも材料や製法によって、硬度も異なってくるのでしょう。逆に、木製ラストでも素材や製法によっては、プラスティックラストより削りやすいのかもしれません。あと、プラスティックラストの方が、ラスト表面を滑らかに仕上げやすいそうです。

また、一部のビスポーク・シュー・メイカーでは、もう注文しないだろうと思われるお客のラストが、新規注文客に流用されるケースがありますが(足型が似ているラストを流用)、その場合も、木製ラストだったら形状変化が容易な分、流用もしやすいのではないでしょうか。


【ハンドメイドに適している】
ビスポーク・シューズの場合、大抵はハンドメイドで作られ、釣り込みも釘をラストに打ち込んでのハンドメイドになります。

そして、木製ラストに釘を打つと、その釘は木の繊維によってしっかり押さえ付けられ、立体成形もしやすいのだそうです。これを職人さんは、「釘が効きやすい」と表現していました。これがもしプラスティックラストだと、釘を押さえつける力が弱く、立体成型がし辛いそうです。そして、プラスティックラストの場合、その「釘の効き」が、繰り返し使うほど弱くなるのだそうです。

まずプラスティックラストだと、木製ラストより重いため、ハンドメイドの作業自体がし辛いそうです。もしかしたらプラスティックラストでも、軽いプラスティックラストもあるのかもしれませんが……。

あと、僕個人の推測ですが、インソールや月型芯、先芯と言った、革の部材(注1)を濡らしてラストに貼り付け、クセを付ける工程の際、木はプラスティックと違って水分を吸うため、部材とラストの馴染みが良く、立体性を出しやすいように思います。

さらに、木製ラストだと部材が乾燥しやすいです。乾燥が不十分だと型崩れの恐れがあり、特に月型芯はしっかり乾燥させないと、ライニングに染みが生じるケースがあるそうです。ライニングには吸湿性が求められますが、最初から水分で染みがあっては、その吸湿性が落ちてしまうのでしょう。

また、靴雑誌「LAST」vol.10によると、トリッカーズでもサン・クリスピン同様に、既製はプラスティックラスト、ビスポークでは木製ラストと区別して使用しているようです。そして、木製ラストの使用理由については、「湿気を吸って自然に乾くから」と書かれていました。

ちなみに既製靴の場合、ラストの形状は一定しているため、部材はあらかじめクセがつけられたものが用いられ、乾燥させる手間がありません。そのため、プラスティックラストでも問題ないそうです。


【補修が容易で長期間使用しやすい】
ハンドメイドによる釣り込みを繰り返していくと、ラストに釘穴がいくつもできて、使いづらくなっていきます。しかし、木製ラストだと、叩けばその釘穴が小さくなり、ある程度は使えるようになるのだそうです。プラスティックラストだと、それができないのだとか。

そして、叩いても駄目なほど、釘穴が増えた場合はどうするのか?
木製ラスト修復例
その場合は、釘穴でボロボロになった箇所をノミとかで削り取り、その部分に革辺やパテを埋め込んで修復させるのだそうです。上画像が、その補修例。トウ右側部分です。

木製ラスト修復例
木製ラスト修復例

上は補修の拡大画像。黄点線で囲った部分が補修されております。そして、右画像は、革辺で修復した後、さらに使い続けた木製ラストのヒール部分(上画像とは別のラスト)。画像にカーソルを当てて頂くと、その修復した箇所が黄点線で囲われます。

もちろん、プラスティックラストでも革やパテを埋め込む事はできるのですが、前述のとおり、接着が弱い分、釣り込んだ時に釘を押さえつけられないでしょうし(効きが悪い)、また、修復しても、取れやすいのでしょう……。

そして、補修もできないほどに劣化したら、ラスト屋さんにそのラストをスキャンし、コピーラストを作ってもらうのだそうです。そのコピーする場合は、木製ラストよりプラスティックラストの方が同じ物ができやすいそうです。

さらに木製ラストの特徴として、「木製ラストだとモチベーションが上がる」と言う職人さんもいらっしゃいました(笑)。何となく、お気持ち分かりますです。

以上が木製ラストの利点です。考えてみれば、欧州のビスポーク・シュー・メイカーで、「ウチは当然、木製ラスト」と木製ラストにこだわっている事を強調する方はいても、「ウチは当然、プラスティックラスト」と、プラスティックラストにこだわっている事を強調する方は見た事がないんですよね……。

さらに余談ですが、日本のビスポーク・シュー・メイカーの中には、普段はプラスティックラストを使用しつつも、メディアに掲載する時だけ、木製ラストを使用するメイカーもあるとか……。



※注・ただ、ビスポーク・シュー・メイカーの中には、先芯にプラスティックを使用しているメイカーもある。


一方で、プラスティックラストの特徴は、前述した事と重なりますが、以下の点が挙げられるようです。
・安価
・経年変化しづらい
・経年劣化しづらい
(12年12月17日追記)
・コピーの際、同じ物ができやすい
・リサイクル可能
(12年12月17日追記)
・物によっては削りやすく、表面を滑らかにしやすい

6点のうち、上4点から考えると、規格どおりの品を、安価に大量生産する必要がある既製靴においては、プラスティックラストの方が利点は大きいのでしょう。それに既製靴に多い、マシンによる釣り込みは、釘を使わずに(使っても少量)接着剤で行われるため、ラストが釘穴で劣化する心配もなくなります。
ハンドメイドながらもプラスティックラストを使用しているメイカーもありますが、それは上記の点を重視して、プラスティックラストを使用しているのだと思われます。

さらにプラスティックラストだと、乗せ甲した革やパテが剥がれすく、つまり、ラストを最初の形状に戻すのが容易です。と言う事は、ラストを変化させた後、元に戻して再利用する、パターン・オーダーにもプラスティックラストは向いていると言えると思います。



木製ラストとプラスティックラストの違いについて色々書きましたが、実際のところ、僕自身、木製ラストによる靴と、プラスティックラストによる靴、双方を履き比べて、どちらが木製で、どちらがプラスティックか、判別できる自信はまったくありません。

ラストメイクにおいて一番肝心なのは、ラストメイカーさん自身の作成技量だと思います。そして、ビスポーク・シュー・メイカーさんが、なぜ木製ラストを使用しているのか、なぜプラスティックラストを使用しているのかについては、メイカーさんそれぞれが出した答えであり、その答えにお客様が満足しているかが大事だと思います。

ただ、欧州のビスポーク・シュー・メイカーにおいては木製ラストが主流であり、それにはどんな理由があるかと言う事だけ、書かせて頂きました。

最後に、木製ラストとプラスティックラストの特徴についてご教示して下さった、たくさんの職人さんにお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。






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